2017年7月7日金曜日

「かぞくの形について」


「かぞくの形について」

家族関係学を学んできました。
とか
治療から予防までの領域で「家族支援」を専門にしています。
なんてことを言うのなら。
あなたの家族観を聞かせてよね。

そんな声が聞こえそうなので。
「かぞくの形について」書いてみようと思います。

「家族」
一言でいうけれども、ひとつとして同じ家族の形ってない。

「家族」
どうやってできている?どうやってつくる?
教わるものじゃないし、どこかで教えてくれるものじゃない。

「家族」
幸せな家庭を作ります!ってあの日誓った手前、俄然、力が入る。
そんなとき、やっちゃいがちなのが、理想的な家族の形を追ってしまうパターン。

「家族」
まずは立派にみえる家族の形(張りぼて)を最初に作る。
こんな立派な屋根の下で暮らしていると、こんな気が起きる。
立派な母でいよう。
立派な妻でいよう。
立派な父でいよう。
立派な夫でいよう。
こんな無言の圧力によって、その張りぼては維持される。

「家族」
立派に見える幸せそうな家族。
でも中を見ると、誰も笑っていなかったりする。
中にいるひとりひとりが悲鳴を上げて無理をしている。
立派な張りぼてを守りながら。

一方で、こんな「かぞく」がある。
まずは、自分の幸せ。
そして、パートナーの幸せ。
子どもの幸せ。
それが何かつかむために、中にいるひとりひとりを見る。
よく見る。
知る。
知ろうとする。
個性や癖や素敵なところやイケてないところ、
全部ひっくるめた目の前のあなたを知ろうとする。

そのひとりひとりの柱の上に、合う屋根を乗っける。
たいていいびつになる。
外から見るとぶかっこう。
中は、ひとりひとりが笑っているのが見える。聞こえる。
それに名付ける。
「かぞく」って。

生きているひとりひとりが一番大事。
「かぞく」は二の次。そんなかぞく。

「かぞく」
ひとりひとりが笑っていられる形に
「かぞく」と名付けたその場所は、居心地がいいだろう。
だってじぶんたちにしっくり合ったおうちの形なんだもの。
そこには笑顔がある。
ユーモアがある。
温度がある。

「かぞく」
それは、TVが流す幸せそうな家族とはだいぶちがう。
お父さんとお母さんと子どもって決まった型があるわけでもない。
血がつながっていないこともある。
同じ場所に住んでいないかたちもある。
法律上は家族じゃないかたちもある。

「家族」
立派に見える幸せそうな家族から。
年間3万人の自殺者。
年間8万人の行方不明者。
虐待。
DV。
外からは立派に見える日本の家族の中で起こっている。

あなたが今握りしめている価値観は「幸せそうな家族」に必要なもの?
それとも。
幸せな自分と笑っているパートナーと子どものための「かぞく」に必要なもの?

「かぞく」の形は変わる。
だって。ひとりひとりは毎日変化していくから。
夏に大好きで毎日遊んでいた遊びも、今はもう見向きもしないの。
ひとってそういうもの。
ひとりひとりは毎日毎日アップデートしていくの。
だから「かぞく」も時々アップデートしていかないと。
おいつかない。

ここで「???」なんか違和感???って感じたら、
いいアンテナ持ってると思う。

結婚で始まるんだよね、たいていの家族は。
結婚は「永遠に変わらない」約束のもとで始まってるから厄介。

「かぞく」に必要なのは、
永遠に、毎日かわりつづけるわたしとあなたを大切にして、すり合わせること、なのに。
まったく反対の約束しちゃってるの。
結婚から始まる「家族」のトリック。

手のひらのなかの価値観を、ひとつづつ。
今の自分にあったものを選びなおし続ける。
生きることはその連続。
それをひとりひとり、みんながする。
それをすり合わせて「かぞく」を作りあげ、作りなおし続ける。
壮大な挑戦がおうちのなかで行われている。

それぞれ違っていてこその「かぞく」
そんなわたしのかぞく観。

選択日和 いのうえ
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